常々、自動車の公共性を無視した運転手が多いと感じる。狭い道で無意味に飛ばす、信号グランプリに参加する、高速道路でとばしまくる・・・。
「自動車はパーソナルなおもちゃ」だと勘違いしている運転手が多いと思う。

それで今度は、役所が取り締まりを強化する政策を取る、というロジックもいただけない。
そもそも人は心の生き物で、性能のよい車に乗れば、スピード出したくなる気持ちになるのはよくわかるし、それを否定して「べき論」だけ語っても仕方がない。自動車会社も無意味に高性能な車を作るのはいただけない。ウィングつけて公道を走る消費者を作ってどうしようというのだろうか。車のジャーナリズムも滑稽だ。自家用車でサーキットを攻めて、何を評価しようというのか。

私の提言として下記2つを挙げる。
一つ目は公道を走る車は「加速性能を規制」し、どの車も同じ加速性能になるよう、そちらに技術力を振り向ける。規制した加速性能を超えても超えなくてもいけない。公道を走ることは公共の交通に参加することだということだ。車の加速性能が均一なら車同士はもちろん、歩行者も予測がしやすくなる。運転手は右足の操作にパーソナルな感情がこもらなくなる。
二つ目は今度は逆の方向性で、カートとサーキットを普及させ、運転技術の底上げとエンターテイメントを支援する政策を取る。運転免許も走らせる技術だけでなく高度な操作をもつ技術者のライセンスを設ける。

このようにすれば、安全な車社会と車の楽しさを両立した社会が作れる。
次の世代までに是非実現したい。「政策」という言葉を使ったが、政府が主導になる方法もあるが、自動車会社等の民間企業努力だけでも十分実現できると思う。